2012年8月21日火曜日

例の問題シーンについて。少々。


沢山のお客様からの感想をいただき、心より感謝しております。

今回の作品の中で、とあるシーンについての「あまりにも心が痛くなりました」という感想を
いくつかいただき、とても難しいシーンのため説明というよりも、
私のそのシーンに対する想いを少々書いてみようかと。




今回乾さんがメインの無言劇みたいなシーンは「HUMAN」と名付けていて、
あえて人間の嫌な部分にフォーカスをあてたものでした。

私は人間の感情の中で、人をねたんだりうらやましがったりする感情が一番キライで、
自分もそういう要素を排除したいって願いながら日々生活していますが、
そこまでハッキリ思って毎日生きてても、現実にそのような感情は沸き起こってくるわけです。
実際に子供の頃、かなり「いじめとはか、絶対にイケナイ!」って思って生活してたタイプなのに、
ある時あまりにもしつこくしてくる知的障害ぎみの子に「耳の中汚い!!!」って言ってしまった自分がいたりして。
そんな事を言ってしまう自分の一部分を許せないと思い続けていると同時に、今思えばそんな感情も人間の要素なのだと。
その知的障害の子からしたら、いつも味方なはずの私からそんな事を言われて本当にショックだったと思うんですが。

ある時そんな人間の嫌な要素ですら、人間ってものがそもそも備えているスキル(性?)なのだと、ふと思ったわけです。
嫌な感情は絶対に消えないんだって。
だから昔から人類は小さくは個人間の争いから大きくは国同士の戦争を繰り返してしまうんだ。

「肯定」はしないけど、その要素を持っているのが人間ってことを「自覚」しなきゃいけない。
それを自覚した上でその沸き起こった感情をどうしていくのか。





今までの試作ではかなり踊りメインで展開しててその嫌な部分てのはもっとお茶を濁してきましたが、
人間の嫌な部分だけを露骨に客観的に見たとき、
見た人の中で自分の中の嫌な部分がフィードバックするのではという思いで、あえてその様なシーンを作ったわけです。
今回の完成版では他のシーンで充分踊りでの表現をする事ができたので、このシーンは本質的な部分だけにチャレンジしました。
なのでいじめを描きたかったとか、そういうのではなく、(結果的にそう見えることは重々承知で)
「いい顔して、でも肝心な所で突き放す」とか
「母性の様に感じてても、一個の嫌悪感から拒絶が始まる」とか
「ちょっとしたことなのに、大きく捕らえて被害者ぶる」とか
「分かり合えると思ったのに、それぞれの方向性が違ったために、結局相手を振り回す」とかとか
そんな一個一個の設定でジェスチャーを創り上げ展開しました。
そしてそれらの対象となった乾さんは最終的に自ら人との距離をシャットアウトしていくという感じになりました
そしてその立場は、いつ何時入れ変わるかは分かりません。
日常の中で、生きている限り全ての人にある状態だと思います。





目の前につなみがきた時に、自分の命よりも人の命を助ようとするのも人間だし、
我先にと人を蹴落としてでも生きようとするのも人間。
どちらが良い人とか、悪い人とか、わかりません。
どちらも誰しもが備えている感情であろうと。
どうしてもいい部分だけ表現しがちだけど、あえて今回チャレンジしました。

ちなみにこのシーンの圧迫感、息苦しさをお客様と共有できたらと、「空調を切る」という演出も施しました。


705 / 菊地

2012年8月20日月曜日

作品後記|実はまだ終わっていない


文章:飯名尚人

まだ終わってない、なんて書くと出演ダンサーたちは「えー、まだあんな過酷なリハーサルが続くのか」と思うかもしれません。なにしろダンサーにとって休むヒマの無い作品でしたから。

僕は、その作品が上演し終わったあとに、実は作品が始まる、と思っています。そうでなければいけないと思っています。作り手としては、そういう作品を観客のみなさんに提供しないといけないと思っています。なかなかそこまでのレベルに自分が作家として到達出来ていない、という焦燥感もありながらも、そういう理想と目標を掲げています。

この作品『境界線上のヘヴン』の中の物語は、上演時間1時間40分の中で、演出上の始まりがあって、演出上の終わりがありますが、その先は実はまだまだ終わっていない物語が続きます。特に『境界線上のヘヴン』で抱えたテーマが、「天国すら疑ってみる」という「疑い」であって、すべての疑いが晴れるまで延々と自問自答が続くわけです。

この作品での僕の役割は「共同演出・映像」です。3つの映像作品を事前に作りました。プロモーションビデオと称していますが、実は、映像作品を作ったつもりです。観た人も観てない人もいるかもしれないですが、この3つの映像の中のイメージは、舞台上で描かれる世界の予兆です。パラレルワールドとでもいうか、同じ世界でもあって、わずかにズレた世界でもあります。舞台を見終わってから観ると、また印象が違うのではないかと思います。




共同演出という役割として、まずやるべきことのひとつに「作品の"作り方"をどう演出するか」でした。「天国対談」にも書きましたが、演出家が2人いる、というこの作品で、僕がしないといけないことは、コンセプトを作ることと、そのコンセプトを死守すること、でした。共存できる太い軸が必要だったからです。同時に、尚子さんの描きたい世界、伝えたい世界をダンスだけでないところに向かうように仕組むことでもありました。ダンス作品なんだけど、ダンスだけで語らないようにしたかったからです。ダンスを内包した世界、を作り出したかったから、照明、音楽という空気のようなメディアの中に、ダンスをぽつんと置く、ということ、そんな作品を実現するにはどんな作り方がいいのだろうか、と思い、そんなような話を尚子さんと長く話し合ったことを思い出します。尚子さんとダンス演出の中に沢山の余白を作りながら、リハーサルを進めて来たように思います。僕個人としては、もっと余白を!と感じたのも事実ですが、自分にブレーキをかけた部分もあります。705 Moving Co.の魅力を壊す必要を感じなかったからです。それをコラボレーション(共同制作作業)の妥協という人もいるかもしれませんけど、個人的な過剰な主張がすべてを壊すこともあります。しかし、自分の提示したコンセプトは死守しないといけない、というこのジレンマが毎回のリハーサル中の葛藤でした。本番前日、劇場でのリハーサルで、ダンス、音、照明、衣装が合体したものを観たときに、死守したコンセプトがそこに見えたという確信がありました。


本作で描こうとしたものは何かと、上演後に改めて考えてみると、演出家、出演者、照明、音、衣装、ダンスミストレス、、、といった関わったメンバーそれぞれに解釈が異なっていると思います。ラストシーンはどんな意味があるのか、という質問を全員にしたら、きっと全員違うことを言うと思います。それでいい、それがいいと思います。尚子さんと僕とでも違うかもしれない。おそらく違う。だとしても、確実にひとつの世界がそこには描かれている、そういう作品になったと思います。

主観的に、あくまでも個人の解釈としてあえて言いますと、僕が本作で描きたかったのは、「人は何を信じて生きているのだろうか、生きていくべきだろうか」ということでした。いうなれば「信仰心」でした。尚子さんからのお題は「天国すら疑ってみる」「幸福と不幸、安定と不安定についての考察」というものだったので、それを受けて、クリエイションが始まる前に、僕から尚子さんに「創作ノート|整理してしまう前の雑多なイメージを残しておくためのノート。言っていることとやっていることが違わないようにするためのノート。」を渡しました。そこに書かれている内容すべてが、共同演出する際、結果的に僕が死守したものになりました。すべてのメンバーが、こういった各自の解釈、各自で死守すべきもの、というものを抱えて、クリエイションが進んでいたように思います。だから作品の中で、ここは尚子さんのアイディアで、ここは僕のアイディアで、これは、、、というような区別が、もう分からなくなりました。いろいろな解釈が入り交じって、ビジュアル化された作品になったと思います。そういう作品が僕は好きです。

客観的に、ひとりの観客として客席から本番を観ていて、観客としての僕の感想は「日本は、世界は、こういうモヤモヤした不確定な状態なんじゃないか。この作品は、世界や人々の心のモヤモヤをビジュアル化したのではないか」というものです。よく聞く「安全神話」というものが、どんどん崩壊しています。ユーロも原発も、食品の賞味期限も、原産地でさえ疑わしい時代です。だからこそ個々人で、自分の所在と思想を明確にしないといけない。「自分はどうすべきなのか」を自分で決めないといけない。本作の最後が「希望」という印象に見えるのは、希望のある世界を観客である僕が望んだからなのではないかと思います。救い、というものです。子供たちが後ろ向いて座り、大人たちも後ろを向いて立っているのは、今の自分や世界を否定しつつも、まだ見えない向こう側をじっと見続けているという現れなのではないかと。この世界に救いが無いわけがない、と僕は思うからです。そういう意味での希望と、念です。


この作品を再演できるとしたら、このまま再演はしたくないな、と思います。すでに、「もっとこうしてみたらどうだろうか」とか、「こうすればよかったのかも」とか、今更ですが「あー、わかった、そういう意味か」とか、、、、新しいアイディアがあるからです。まだ終わってないなぁ、と思うのです。

というわけで、再演バージョンの『境界線上のヘヴン』をまた披露できればと。


(2012年8月19日)


2012年8月17日金曜日

出演者 坂木眞司さんについて。

本日、とうとう初日をむかえます「境界線上のヘヴン」。


最後のご紹介となりますのは、大尊敬の坂木眞司さんについて。



























私が若い頃から舞台で目にしてきた坂木さんは
素晴らしいダンスと存在感の方でして、
いつか一緒に踊れる日が来ないかしらと、夢みておりました。


そして約10年ほど前。
私がNYで修行中、たくさんのチャンスと経験をする事ができるNYで、
この先の人生を生きて行くか、または日本に帰って地に足をつけて
自分の世界を構築するべく創作活動にいそしむか、
心底悩んでいた時期がありました。

そんな折り、日本からとある作品の出演オファーがきました。
その時の出演者の中に、坂木さんの名前がありました。
!!!!!
ああ、日本に帰ろう。と決心した瞬間です。


帰国後、まさかの第一回目の705カンパニー公演にも坂木さんに出演していただき、
念願のデュエットも踊れました。
リハーサルに向かう姿勢や、奥様とのささやかな日常の話など
坂木さんのおちゃめだけと誠実な人柄を知ることができ、
それら全てが坂木さんの魅力となってあの崇高なダンスと存在感になるのだなと
感じることができました。


そして数年前、ある作品に坂木さんが出演されているとのことで見に行きました。
その坂木さんの素晴らしさに圧倒され、私は大号泣をしながら終演と同時に
「坂木さんは日本一のダンサーだ!!坂木さんは日本一のダンサーだ!!!!」
とお友達に電話しておりました。


今回、リハーサルに入る前、共同演出の飯名氏とのミーティング中、
「二人のシーンは尚子さんにとって何なのだろう?」
と聞かれました。
すぐ自分の口から出た言葉は、「希望」です。
私の個人的な想いを込めたシーンを、尊敬する坂木さんにやっていただけること
再び私の作品に出演していただけること、
私にとってこの上ないありがたい機会となりました。

坂木さん、どうぞよろしくお願いいたします。

またご来場のお客様、心よりお待ちしております。


705 / 菊地


2012年8月16日木曜日

出演者 池田美佳さんが日記を書いてくれました!

【旅路の出発に向けて】

7年前、新国立劇場にたまたま観に行った公演で踊っていた尚子さんは、

ちょうどNYから帰国したばかりでした。
その時見た尚子さんは、まさに「疾走感」という言葉がぴったりで、
爆発的なエネルギーを持ったそのダンスに衝撃を受け、
目が釘付けになったのを今でも鮮明に覚えています。

そこから現在まで、レッスンやいくつかの作品に関わらせていただきましたが、
気づいたら今回の出演者で一番705歴が長い!?ということに…(驚)
しかしながら、705ムーブメントは奥が深く、
何年経っても完全に習得することが難しい。。
さらに今回の作品では、ムーブメントのさらに先、
作品の中に個々がどう存在するかということがいつも以上に重要な課題であったので、
リハーサル中はずっと悶々と身体と心の葛藤を繰り返してきました。
単なる動きのコピーではなく、それを自分なりのムーブメントに昇華させた上で、
この作品の世界の一員となり、そこにきちんと存在することができるように… 
ミストレスの友さんやさっちゃんの力を借りながら皆で積み上げてきたものが、
舞台で ひとつの力になれることを楽しみに本番に挑みたいと思います。

今回この「境界線上のヘヴン」に付いている ¨天国すら疑ってみる。¨というキャッチフレーズが私は好きで、

一般的に天国と思われているようなことも当人にとっては実は地獄だったりするかもしれないし、
その逆も然り、つまり辛い事も見方を変えれば幸せに思えたりする。
あらためて、この作品と向き合いながら、自分にとっての天国ってなんだろうと考えた時に、
辛いながらも あぁでもない、こうでもないと踊りや作品と向き合って闘っている、
まさにこの時間なのかもしれないなぁと。。

何を境界線にするか、その先になにがあるのか。

そこは越えたい線なのか、越えてはいけない線なのか… 妄想が広がります。
踊っていても毎回、その時に湧き起こる感情によって目の前の境界線が変わったりするので、
本番も、自分がどんな気持ちでその境界に立っているだろう、
それが観ている人にはどう見えるだろうと思うと色々と楽しみです。

始まったら出っぱなしの90分、ダンサーにとっては体力と精神力との限界に挑戦ですが(笑)、
その長い旅路を観ているお客様と私たちとで色々と妄想を膨らませながら
楽しい航海が出来たらなぁと思っています。

応援よろしくお願いします!

池田美佳



☆☆☆☆☆☆☆


私なりの池田美佳ちゃんについて、たくさん書こうかと思っていたのですが、
美佳ちゃんの日記を読んで、ひとまず何よりも、

「今回90分を通して、いろんなみかりんを見てください」という感じです。

人には色んな面があってしかり。

舞台上でみかりんの中から溢れ出す色んな面を感じていただけたら。

そんなみかりんのダンスと表現をお楽しみに!!


















































705/菊地

2012年8月15日水曜日

出演者 菅原はる菜さんが日記を書いてくれました。


この4ヶ月の間、みんなでたくさん積み上げてきた時間は、
私の中で素敵な宝物となりました。
支えて頂いたみなさまに本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

朝から晩まで共に駆け抜けたダンサーのみなさん。
何度も足を運んで下さったスタッフの方々。
飯名さん、さつ、ともさん。
そして尚子先生。
本当にありがとうございます。

たくさん熱い想いはあるのですが、文章にするのが得意ではないので、
是非舞台を観て感じていただけたらと思います。

素晴らしい世界をたくさんの方に観て頂きたいです。

菅原 はる菜



☆☆☆☆☆☆

【地獄からの復活】

はるちゃんは数年前、レッスン中に膝を壊してしまい、
夜スタジオから救急車で運ばれていきました。
あの時の、はるちゃんの痛みに泣き叫ぶ姿を思い出すと、
いまだに心が痛くなります。

その後地獄の様なリハビリを経て、
はるちゃんは半年後から復活を目指しました。
踊れない分、足を鍛える為に毎日3〜4時間歩いていると
その当時言ってたのを覚えています。

きっと、踊りをやめようかと本気で悩んだ事と思います。
前の様に踊れるかどうか、本当に不安だったと思います。

それでも奇跡の復活を遂げ、前回のカンパニー公演では皆と何も変わらず
はるちゃんは舞台の上で全力で踊っていました。














とにかく普段から研究熱心な、はるちゃん。
その熱心さに、私はいつも頭が下がる想いです。

その日々の努力の成果が、みるみると動き方の進化とつながり、
正直今のはるちゃんのダンスは止まる気配を感じません。
まさに705ムーブメントを取得し、
身体を自在に操れるようになってきています。















そしてその身体に追いつくかの様に、今回の作品を通じて
表現もじわじわじわじわはるちゃんの身体を超えて、出てくる様になり、
実は私にとって何よりもそこが1番嬉しいことかもしれません。





















身体どまりではない表現。

1番難しい事に、まさにチャレンジしてくれていることが、
今回はるちゃんがこの公演に参加してくれた意味ではないかと
個人的に思っています。

そんなはるちゃんのダンスもぜひお楽しみに。




705/菊地











2012年8月14日火曜日

出演者 林七重さんが日記を書いてくれました!


【境界線上に立つ】

今回の「境界線上のヘヴン」に
参加するときに決めたのは、

とにかく無垢に空っぽになって
吸収しよう。ということでした。


自分の踊るときの手応え、
踊り方、価値観、自分に対する見方。
そんなありとあらゆる物を手放して、
全力で挑まなければ尚子さん作品には立てないし、
私も変われない。

これは,以前から思っていた事でした。

そう思っても
不器用ですぐにギンギラアドレナリン放出(笑)な私なので、
人から見れば、結局は私のままなのかもしれないけれど、

私にとっては、
大きな変化だったように思う。

ああーーっ。
もうすぐ本番なんですね〜。
嬉しいのに日々無性に寂しいです。

初めて音がついた時のわくわくした気持ち、
キノコ頭がなかなか伸びてくれなくて困ったり、
女子だけで朝から話し合い、お互い注意しあって練習したり。
衣裳が楽しみでメイドにテンション上がったり、
などなど。

言い尽くせない感謝とこの全てを抱えて、本番に臨みます。


「境界線上のヘヴン」
みなさまに観て頂けたらうれしいです。



林 七重


☆☆☆☆☆☆☆☆




【どん欲の極み 林七重。】



























七ちゃんが705のクラスに来たのは、
数年前に創ったボレロのオーディション前でした。
そのオーディションも見事受かり、その後も705に通う体で、数年あまり。

しかし、沢山のチャンスが欲しくて、経験したくて、
あっちもこっちもな七ちゃんは、
公演がある時は真面目にお稽古に通ってきて全力でやりますが、
日々を通してちゃんと705トレーニングを積み上げる作業というものは、
正直してきませんでした。
いや、本人はしていたつもりかもしれません。
しかし、705ムーブメントはそんな簡単に習得できるものではないのです。

どこまで本気でこの人はやる気があるのだろう?というのが、
ついこの3月までの私の見解でした。

どん欲が悪いわけではありません。
かくゆう私も小学生の時点で師匠から「尚ちゃんはどん欲だからね〜」
と言われておりました。

それだけ真剣に一生懸命ダンスに取り組んでいるからこそと思います。

ただ、私も遊びで作品を創ったり、教えをしているわけではないので、
他を優先させてリハをお休みされても困るし、全力で取り組んでくれる人、
自分の信頼できる人と作品創りはしたいというのが本音なわけです。

今回、七ちゃんはそれらの私の気持ちも分かった上で、参加を決めました。
もしかしたら本人的には沢山チャンスは逃したかもしれません。

でも私は七ちゃんが真剣にこの作品に取り組んでくれている姿に、
今までにない以上の信頼と、愛情と、
これからの七ちゃんの未来を感じております。





















ダンサー全員にとって、どの本番も通過点に過ぎないとは思いますが、
今回の本番も今後の底力になるようなものを何か経験してもらえればと
願っております。

そんな七ちゃん、強い七ちゃんのイメージを持っている人も多いと思いますが、
本当に柔らかく切なく、どんどん素敵になっていき、
私の大好きな何とも言えない表情も(私はそこに七ちゃんの魅力を感じるのです)
沢山お目見えしております。


















真摯に取り組んでそしてゴールまで一緒に駆け抜けてくれる事、
かなり私からキツいことを言われながらもあきらめずに
ムーブメントの模索をしてくれたこと、
七ちゃんに心より感謝してます。

そしてその努力は絶対に七ちゃんの身になっています。即席ではありません。

では、そんな林七重のダンス、表現もお楽しみにしててくださいね。


705 / 菊地








「聞く耳を持つ。」

日曜日には最後のリハーサルを終え、
今週末の本番に向け、体と心を落ち着かせているこの2日間です。

春から始まったリハーサルも、あっという間に夏になり
あれよあれよという間に本番に。


今までの経験上、90分の作品をどれぐらいのペースで仕上げ、
磨きにかける時間も取るかは、分かっていたつもりなので、
少々ハイペースかなとは思いつつも、
この4ヶ月間ダンサーみなさんに走り抜けていただきました。





















今回は私一人で作品を創るということではなく、共同演出に飯名氏、
その他にも音、照明、衣装も作家性を持った方々との作業となり、
今までとは創作方法も、私の作品への構え方も違っていました。

最初の時点でまず今作の自分の想いやら、世界観、お互いに普段感じることなど
たくさん飯名氏と話をしました。





















この時点でお互いにこの作品に対する方向性やイメージに、
根本的なズレはなかった様に思います。
なぜかと今思えば、この作品のやりたい事は、特別なことではなく、
みなさんの中で共通して持っている感覚、普遍的な感覚だからだと思います。

それをどう演出するか。
具体的なやりたいことは私が創ります。
そしてそれを飯名氏が空気感や雰囲気を帯びさせる感じです。

時としてダンサーに一生懸命練習してもらったのに、
飯名氏や、スタッフ陣の意見により、
全カットになってしまった部分もあります。

今までの私なら、作品の確実な青写真を持ってからリハを始めるので、
その様に右往左往することはまずありません。

でも今回一見右往左往している様に見えても、それが必ず自分の中で「腑に落ちる」
意見なため、必ず前に進む要素になってきました。
言われた事により頭の切り替えや、新しいイメージ、より濃い関係性など、
どれもこれも実になることばかりで、作品が一つの世界を創り始めました。

お衣装の川口さんも、川口さんにしかない視点で作品を捕らえ、
まさに広がりを持たせてくれています。



















「ああ〜。聞く耳を持つってことは、こういうことかー。」
というのが、経験を通して得た今回の一番の自分の発見です。

人によっては、「菊地さんだけの世界観の方が好きだわ!」とかあるかもしれません。

しかし、舞台に上げた時に私は絶対に今回このような形で表現できたことを
良かったと思う自信があります。

クマチさんの音、高田さんの照明、それらは私の想像を超えて
舞台上で作品をぐんぐん上げてくれることでしょう。
(現にクマチさんは最終リハ後、音にもかなり満足げな私に対し、
「いやいやこれからっすよ!尚子さん!」と憎い台詞を残して帰っていきました。笑)




























自分だけでは広がらない世界がきっと待っていると思っています。

ああああああ〜、超楽しみでっす!


ぜひみなさんとそんな世界を共有できたらと。
お待ちしております!

705/菊地




2012年8月1日水曜日

出演者 田中麻友美さんについて。

【YOUのがむしゃらって何ですか?】

まゆみ先生が705の門を叩いたのは、3年ぐらい前でしょうか。
ちなみに、まゆみ先生はあだ名です。
大学時代に周りのお友達にそう呼ばれていた様で、
私も引き継がせていただき、そう呼んでます。

幼少よりクラシックバレエを習い、基礎はバッチリと身につけているまゆみ先生。
日芸での大学生活中にコンテンポラリーに移ったわけですが、
何がキッカケなのか、705のスタジオに現れたわけです。

とってもキレイで、静かで、余計なお喋りも殆どしないまゆみ先生。
「どうしてうちに来たのかね〜?」と、ある時聞いてみました。

「自分の殻を破りたいと思ったので」と
かなりの沈黙後、まゆみ先生はそのように答え、
「そんなら、705はうってつけだね!」と私も返答したのと同時に、
こんなに静かであるけど、きっとまゆみ先生は内に秘めて燃えるタイプなのだと
思い込みました。


まだ学生だったまゆみ先生は、本人の意思により大学の卒業公演を蹴って
前回の705公演「The 式典」に参加してもくれました。




















きっと、学校内で毎日お友達が卒業公演目指しワイワイやっているのを横目に
705リハに来なければならなかったのは、
大層辛かったのではないかと察しておりました。


そして前回のカンパニー公演が終わった際に、
「この公演に出れて本当に良かったです」と言ってくれた事や、
よっぽどの事がない限り週3回のお稽古をお休みしないこと、
そして何よりもコンクールの指導などをしながら、
より一層まゆみ先生の魅力を沢山発見できたこと、などなど、
私の中ではまゆみ先生にチャンスをあげたいという気持ちが
大きくなっていったわけです。

そして昨年創った「境界線上のヘヴン」の試作では、
それなりに大人数いる出演者の中で
大切なシーンを担ってもらいました。




















がっっっっっ!!しかーーーーし!!

まああああ、のんびりしていること!!

出来ない動きがあって結構なダメ出しを私から受けていても、
それほどがむしゃらに練習をしないまゆみ先生。
私が言われる立場なら3日間は寝れない精神状態になる感じです。

静かではあるけど感情は豊な人なはずなので、
傷つくことは傷ついていると思うのですが、
それでも大して練習をせず、本番に入って行きました。


その試作も終了後、私はまゆみ先生に
「まゆみ先生にがむしゃらってないの?」という気持ちをぶつけたわけです。
がいーーーんっ!て顔をしておりました。

そして今回、完成版のキャストを悩んでいる最中、
まゆみ先生からメールが来ました。
「今度こそ、がむしゃらになりたいです。」

そんなわけで、まゆみ先生に出演をお願いしたわけですが、
ここ2週間、また動きが出来ていないことを私から叱咤されたわけです。

朝練も自主的にやってがんばっている様ですが、出来ていないものは出来ていない。
辛かったことでしょう。
どうしたらいいのかも、まだ自分で解決はたぶん難しいのだと思います。

後日ダンスミストレスのさつと、ダンサーのあおちゃんが、
すごーく良くアドバイスをしてくれていました。
普段お稽古中から、みんなでアドバイスしあって向上し合って来た仲間です。
本当にありがたく、まゆみ先生も心強かったことでしょう。

そして、数日前の朝10時半から夜9時までのロングリハーサル。
会場の人に先にドアを開けてもらおうと朝8時45分に電話したところ、
「すでに一人女性が来ています」とのこと。

まゆみ先生に違いないと思いました。
そして会場に着いたら、まゆみ先生が一人黙々と練習しておりました。


どうやらまゆみ先生、がむしゃらを手に入れたようです。


そんなまゆみ先生のダンスも表情も、みなさまお楽しみに!!!



705 / 菊地