沢山のお客様からの感想をいただき、心より感謝しております。
今回の作品の中で、とあるシーンについての「あまりにも心が痛くなりました」という感想を
いくつかいただき、とても難しいシーンのため説明というよりも、
私のそのシーンに対する想いを少々書いてみようかと。
今回乾さんがメインの無言劇みたいなシーンは「HUMAN」と名付けていて、
あえて人間の嫌な部分にフォーカスをあてたものでした。
私は人間の感情の中で、人をねたんだりうらやましがったりする感情が一番キライで、
自分もそういう要素を排除したいって願いながら日々生活していますが、
そこまでハッキリ思って毎日生きてても、現実にそのような感情は沸き起こってくるわけです。
実際に子供の頃、かなり「いじめとはか、絶対にイケナイ!」って思って生活してたタイプなのに、
ある時あまりにもしつこくしてくる知的障害ぎみの子に「耳の中汚い!!!」って言ってしまった自分がいたりして。
そんな事を言ってしまう自分の一部分を許せないと思い続けていると同時に、今思えばそんな感情も人間の要素なのだと。
その知的障害の子からしたら、いつも味方なはずの私からそんな事を言われて本当にショックだったと思うんですが。
ある時そんな人間の嫌な要素ですら、人間ってものがそもそも備えているスキル(性?)なのだと、ふと思ったわけです。
嫌な感情は絶対に消えないんだって。
その知的障害の子からしたら、いつも味方なはずの私からそんな事を言われて本当にショックだったと思うんですが。
ある時そんな人間の嫌な要素ですら、人間ってものがそもそも備えているスキル(性?)なのだと、ふと思ったわけです。
嫌な感情は絶対に消えないんだって。
だから昔から人類は小さくは個人間の争いから大きくは国同士の戦争を繰り返してしまうんだ。
「肯定」はしないけど、その要素を持っているのが人間ってことを「自覚」しなきゃいけない。
それを自覚した上でその沸き起こった感情をどうしていくのか。
「肯定」はしないけど、その要素を持っているのが人間ってことを「自覚」しなきゃいけない。
それを自覚した上でその沸き起こった感情をどうしていくのか。
今までの試作ではかなり踊りメインで展開しててその嫌な部分てのはもっとお茶を濁してきましたが、
人間の嫌な部分だけを露骨に客観的に見たとき、
見た人の中で自分の中の嫌な部分がフィードバックするのではという思いで、あえてその様なシーンを作ったわけです。
今回の完成版では他のシーンで充分踊りでの表現をする事ができたので、このシーンは本質的な部分だけにチャレンジしました。
なのでいじめを描きたかったとか、そういうのではなく、(結果的にそう見えることは重々承知で)
「いい顔して、でも肝心な所で突き放す」とか
「母性の様に感じてても、一個の嫌悪感から拒絶が始まる」とか
「ちょっとしたことなのに、大きく捕らえて被害者ぶる」とか
「分かり合えると思ったのに、それぞれの方向性が違ったために、結局相手を振り回す」とかとか
そんな一個一個の設定でジェスチャーを創り上げ展開しました。
そしてそれらの対象となった乾さんは最終的に自ら人との距離をシャットアウトしていくという感じになりました。
「いい顔して、でも肝心な所で突き放す」とか
「母性の様に感じてても、一個の嫌悪感から拒絶が始まる」とか
「ちょっとしたことなのに、大きく捕らえて被害者ぶる」とか
「分かり合えると思ったのに、それぞれの方向性が違ったために、結局相手を振り回す」とかとか
そんな一個一個の設定でジェスチャーを創り上げ展開しました。
そしてそれらの対象となった乾さんは最終的に自ら人との距離をシャットアウトしていくという感じになりました。
そしてその立場は、いつ何時入れ変わるかは分かりません。
日常の中で、生きている限り全ての人にある状態だと思います。
目の前につなみがきた時に、自分の命よりも人の命を助ようとするのも人間だし、
我先にと人を蹴落としてでも生きようとするのも人間。
どちらが良い人とか、悪い人とか、わかりません。
どちらも誰しもが備えている感情であろうと。
どうしてもいい部分だけ表現しがちだけど、あえて今回チャレンジしました。
ちなみにこのシーンの圧迫感、息苦しさをお客様と共有できたらと、「空調を切る」という演出も施しました。
どうしてもいい部分だけ表現しがちだけど、あえて今回チャレンジしました。
ちなみにこのシーンの圧迫感、息苦しさをお客様と共有できたらと、「空調を切る」という演出も施しました。
705 / 菊地